PATRICK FOOTBALL #19

選手と工場をつないだ、もうひとりの“PATRICK FOOTBALL”
「PATRICK FOOTBALLプロジェクト」を立ち上げてから、これまでの歴代の契約選手たちに当時のPATRICKについて、たくさんのお話を聞いてきました。
選手たちの記憶をたどっていく中で、何度も登場する名前がありました。
「坪井さんには、本当にお世話になった」
「当時のことを一番よく知っているのは坪井さんじゃないかな」
そんな声を多くの方から聞き、今回お話を伺うことになったのが、佐々木(旧姓 坪井)憲子さんです。
1986年にカメイ・スポーツ(現・カメイ・プロアクト)へ入社。販売促進や選手契約、高校サッカー関連事業を担当し、全国の大会や遠征に同行。選手とPATRICKの間に立ち、スパイクの開発や改良にも携わってきました。
選手たちが履いていた一足は、どのようにして生まれていたのか。
当時の選手たちとのやり取りや、スパイクづくりの舞台裏、そしてPATRICK FOOTBALLが歩んできた時間について、PATRICK FOOTBALL #5にも登場いただいた斉藤雅人さんを交えながら、お話を伺いました。
Guest_Keiko Sasaki
Interview_Kenji Takehara
Photo_Yusuke Hosoi
Edit_Toshihiro Otake

ー まずは、カメイ・スポーツに入社されてからの経歴について教えてください。
佐々木憲子さん(以下、佐々木) : 入社して総務部経理課に配属、数年後に営業職への異動を打診され一度はお断りしましたが「販売促進をやってみないか」とお声がけいただき営業部販売促進課に異動しました。
高校サッカーや高校野球は好きでしたが、「販売促進」って何をするのかもよく分からないまま担当することになりました(笑)。
そこから私のサッカーの仕事が始まりましたね。

ー 当時のPATRICKについて、ぜひ教えてください。
佐々木:当時は、会社としてサッカービジネスをもっと大きくしていこう、としていた時期でした。
将来Jリーグに入る可能性の高い選手と契約して、選手を通じてPATRICKを知ってもらう。そういう活動をかなり積極的に行っていました。
高校選抜にもスポンサーとして関わっていましたし、選手契約をはじめ、高校サッカー選手権、インターハイ、国体、全中など、全国のいろいろな大会に携わっていました。
担当する範囲も北海道から鹿児島まで全国だったので、月の半分くらい出張していることもありましたね。
今振り返ると本当に一年があっという間で、時間が経つのがとてもはやく感じていました。

ー 当時の高校サッカー選手権の思い出などもお聞かせいただけますか?
佐々木:私は、1994年の第72回大会から3大会担当させていただきました。
会社としては「TOPPER」も扱っていたので、大会期間中は「TOPPER」のユニフォームを着用しているチームや、全審判員の「TOPPER」レフェリーウェア、そして「PATRICK」のスパイクなども担当していました。
もちろん、年末年始も仕事でした。
当時は忙しい毎日を過ごしてましたが、今振り返ると本当に素晴らしい時間を過ごしていたんだなと思います。
選手権が終わると日本高校選抜は国内合宿を経てニューイヤーサッカー大会に出場、国内合宿2回からの国際ユースサッカー大会出場に向けてドイツとスイスへ出発。ヨーロッパ遠征にも同行しました。
斉藤くんとは1994年一緒に遠征しましたね。
あらためて、本当に貴重な経験でした。
ー 遠征では、具体的にどのようなことをされていたのでしょうか?
佐々木:遠征中スパイクやウェアに関しては選手管理でしたがエキップメントマネージャーとしてサポートしながら、スパイクやウェアの使用状態をチェック。改善点や選手の活動を記録し遠征の報告書を作成しました
日本高校選抜ヨーロッパ遠征はドイツのデュッセルドルフ国際ユースサッカー大会とスイスのベリンツォーナ国際ユースサッカー大会に1年おきに出場。
高校生年代の海外遠征、選手20名それぞれ自分の考えをしっかり持っていて選手だけで議論したり、時には意見がぶつかり合うこともありましたが…国際大会で優勝するための大切な時間だったと思います。選手の真剣な姿勢に私自身もたくさんのことを学ばせてもらいました。
第56回ベリンツォーナ国際ユースサッカー大会では日本高校選抜が優勝・フェアプレー賞を受賞したのを覚えていますね。
ー 女性一人で遠征に帯同することに苦労はありませんでしたか?
佐々木:やはりありましたね。特に選手のファンの方から変な誤解をされたり、反発されたりすることもあるかもしれない、という懸念は常に感じていました。
なので、遠征や合宿には必ずスーツで行っていました。というのも「仕事で来ています」ということが一目で分かるようにしていたんです(笑)。当時は、メーカーで販売促進を担当する女性は殆どいなかったので、そういった面で苦労したことはたくさんありました。
でも、契約選手の皆さんや高体連の先生方、高校サッカー部の監督さんたちに本当に助けていただきましたので、やりがいのある仕事でしたね。
ー 当時の高校サッカーは、どのような位置付けだったのでしょうか?
佐々木:今とはかなり違うと思います。当時はユース年代の全国大会より「高校サッカー選手権大会」を目指す高校生が多く、大きな注目を集めていました。
高校生にとって、選手権=国立競技場は「夢」の舞台。
そこで活躍した選手が、その後Jリーグへ進んでいく。そういう時代だったと思います。
また、スパイクを提供してもらえるというのは、高校生にとってすごく特別なことで嬉しいことですよね。
ニューイヤーサッカーの時にスパイクを渡して、その後の遠征まで履き込んでもらう。それでもし壊れたり不具合があったりしたら連絡をもらう。
そのようなことを選手たちとやり取りをしていました。

ー 高校サッカー以外ですと、プロの選手とはどのような対応をされていたのでしょうか?
佐々木:当時のJリーグは、水曜日と土曜日に試合があるようなハードスケジュールでした。そんな中でも、練習が終わった後にスパイクを試し履きしてもらって、選手と何度も打ち合わせをしたりしていました。
「ここをもう少しこうしてほしい」
「この部分が当たる」
「もう少しフィット感が欲しい」
選手によって本当に好みが全然違うんです。
アッパーの素材、革の厚さ、ステッチ、ベロの形、サイズ感……選手たちは、スパイクに対してものすごくこだわりを持っていました。
私は選手から聞いたことをまとめて、PATRICKの工場へ伝える。当時から工場は兵庫県姫路市にあったのですが、直接工場まで行って話をすることもありました。
そして試作して、選手に履いてもらって、また修正する。
それを何度も何度も繰り返していました。

ー 「一足を作ること」にかなり時間をかけていたのですね。
佐々木:そうですね。選手の皆さんのスパイクに対する熱い想いとこだわりが伝わってきたので、私も必死でした。
選手が納得する一足を作るために、何度も試作を繰り返す。
そうやって時間をかけて、大切に、大切につくり上げていったスパイクたちでした。
なので、そのスパイクを履いて選手が試合で活躍している姿を見るのが、私としては何より嬉しかったですし、そしてそれが本当に楽しかったです。
選手から聞いた製品の良いところ、悪いところを工場へ伝えて、それが実際の商品づくりや改良につながっていく。自分が選手と工場の間に立って、その橋渡しができたことにも、大きなやりがいを感じていました。

ー まさに「選手」と「工場」をつなぐ役割だったんですね。
佐々木:今のように、メールやオンラインで簡単にやり取りできる時代ではありませんでしたから(苦笑)。選手から直接話を聞いて、それを自分の言葉で工場の方に伝える。工場の方が試作して、それをまた選手に履いてもらう。本当にその繰り返しでした。
工場の方々にも本当にたくさん協力していただきました。選手の細かな要望にも応えていただいて、何度も試作をしてくれました。そうやって、みんなで一足を作っていたんだと思います。
選手にとっても、ブランドにとっても、とても有難いことでした。

ー PATRICKとサッカーにまつわる何か他の思い出もありますか?
佐々木:1992年第14回トヨタカップでACミランが来日した時に、ジャン=ピエール・パパンを担当したことがあります。当時はスーパースターでしたから、すごく印象に残っています。
試合前日にスパイクを受け取ってもらったんですが、パパンが持参してきたものを「もう必要ないから」と会社側に渡してくれたこともありました。そして、渡した日本製のPATRICKを履いて同点ゴールを取ってくれましたね。
ホテルでのパーティーに参加したり、表参道のイルミネーションを一緒に見に行ったり。
今考えると、ものすごい経験をさせてもらったなと思います。

ー 最後に、当時PATRICKと関わった選手たち、そしてサッカーに関わる皆さんへメッセージをお願いします。
佐々木:契約選手の皆さん、高体連の先生方、高校サッカー部の監督さん、Jリーグチーム関係の皆さん、たくさんの方々に助けていただき頑張れたと思います。
仕事を通じて本当に素晴らしい出逢いとご縁をいただきました。
契約選手の皆さんはもちろん、当時PATRICKに関わってくださったすべての方々に心から感謝しております。
本当にありがとうございました。
そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ー 佐々木さん、本日はありがとうございました!!
坪井さんが、当時担当をしていた契約選手一覧(敬称略・順不同):
*Jリーグ
【柏レイソル】加藤 望、下平隆宏
【横浜マリノス】平川 弘、野田 知、山田隆裕、横川 泉、グスタボ ミゲル サパタ
【浦和レッズ】安藤智安、土橋正樹、太田昌宏
【横浜フリューゲルス】楢﨑正剛
【ガンバ大阪】藤田 聡、松代直樹、吉成浩司
【名古屋グランパスエイト】本田征治、ストイコビッチ
【ジェフ市原】立石智紀、須永 純、横山博敏
【サンフレッチェ広島】大木 勉
【セレッソ大阪】下川誠吾、鈴木 悟
【FC東京】奥原 崇、榊 孝一、新條宏喜
【ヴィッセル神戸】大橋進一、前田信弘、ミカエル ラウドルップ
【大宮アルディージャ】斉藤雅人
【ベルマーレ平塚】葛野昌宏
【コンサドーレ札幌】鳥居塚伸人、黄川田賢治、大野貴史
【ブランメル仙台・ベガルタ仙台】渡辺佳孝、吉田 暢
【大塚製薬】河村 孝
*大学生
【順天堂大学】清水美行
【早稲田大学】中島 豪
【明治大学】丸田宗寛
【専修大学】上村裕司、菅原竜太
【中央大学】熊谷雅彦、国原彰彦、平本大介
【青山学院大学】為谷洋介、立木正之、元田直輝
【関西大学】横瀬善行、松屋諭知
【阪南大学】本田 明
【大阪商業大学】濱 正幸
*高校生
【鹿児島実業】平瀬智行
【静岡学園】南 雄太
【1994年 第72回日本高校選抜メンバー】
川口能活、丸田宗寛、鈴木 悟、小川雅己、葛野昌宏、伊藤 亘、野見山秀樹、元田直輝、城 彰二、遠藤彰弘、上村祐司、尾崎耕太、横山博敏、秋葉忠宏、伊藤健一、斉藤雅人、奥 大介、城戸 隆、橋野武一、田之脇和仁
【1995年 第73回日本高校選抜メンバー】
楢﨑正剛、池内友彦、松田直樹、川瀬信一、河瀬成二、中崎弘則、菅原竜太、鈴木和裕、萩村滋則、熱田 眞、式田高義、森崎真光、佐藤由紀彦、吉村光示、中崎優一、森崎嘉之、安永聡太郎、波戸康広、小島宏美、安藤信也
【1996年 第74回日本高校選抜メンバー】
南 雄太、吉利優司、町谷幸一、小川宏史、佐藤陽彦、西 政治、河口真一、柏野裕一、大野敏隆、吉成 大、中村俊輔、砂川 誠、田嶋直人、石井俊也、本山雅志、大西昌之、江田 広、北嶋秀朗、吉原宏太、羽田敬介

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