UMINOKUTSU 対談企画 前編 「人間の暮らしの進化も自然の一部。バランスが大事。」

左:インタビューアー 伊澤良樹さん

右:清昭丸 船主 菊地基文さん(福島県相馬市)



 

伊澤:まず漁師になったきっかけを教えてください。

菊地:代々漁師家系で4代目、曽祖父が底引き網漁の船を作ってからスタートしていて1代で2艘浮かせるまで拡大し、祖父、父と受け継いできていて。ただ自分は、生まれる前に父が漁中の事故により船を降りていたから実際に漁をしている姿を見たことはなくて、漁師が如何に大変な仕事かというのを親戚とかから聞いていて、死んでも乗りたくないとずっと思ってました。母親からは船に乗って欲しいと言われていて、でも親父からは言われたことはなかったので。でもそれも大学まで普通に通っている中で、親父が病気になったのをきっかけに、喜ばせるために口約束だけのつもりで「卒業したら船に乗る」と伝えたことから、親戚からも外堀を埋められる結果に。(笑)

 

 

伊澤:でも実際には断ることも出来たのに、漁師になる決断をしたんですね。

菊地:結局、大学を卒業して船には乗ることになって、でも一度だけ航海行ってからやっぱり無理だと母親に伝えようと思って。案の定最初の航海に出たら本当にしんどくて、4日間も海の上だったから船酔いして吐くものもなくなって、血を吐く状態までになった。何も出来ずに4日間ただ船に乗って帰ってきただけなのに、戻ってくるときの船の上で朝日が360度何もないところから登ってきて、それが本当に綺麗で気持ちよくて、何もやってないのに不思議と仕事をやった感が出てきた。そんな感覚になったのも初めてで、もう一回くらい行っても良いかなという気持ちがしばらく続いて、今に至る感じかな。

 

 

伊澤:底引網漁はどういうお仕事なんですか?

菊地:暖かい時期は朝2時に出港して、魚が悪くならないように翌朝の5時くらいに戻って魚だけを陸に上げ、氷を詰めて船はそのまままた出港する。寒くなると2晩まるまる海に出ていて、戻ったら魚だけを上げてまた2晩出る、計45日間船の上で過ごすサイクル。気づかないうちに総理大臣が変わっていたりすることもあるかな()24時間操業なので朝、昼、晩、晩と4食を船の上で食べる。忙しい時は全く寝られないこともしょっちゅう。 

 

 

伊澤:かなり過酷なお仕事なんですね。それでもここが漁師町として活性している理由は?

菊地:海の上では皆気を張っていて、1人のミスで全員が死んでしまうこともあるから、普段はこうやって笑いながら話をしたりするけど、船の上では笑うことは殆どないかな。今この浜には5〜7人乗りの底曳網船が23隻と1〜3人乗りの小型船が150隻ぐらいあって、その漁師たちはすべて地元の人間で、特に親戚、親子関係が多い。3万人の街で、地元の人間だけで漁を行っているところは他にはあまりないと思う。今いろんな問題で魚が取れなくなってきていると言われているけど、ここは稼げる浜だから、仕事はしんどいけど代々子供たちには、継げば良い生活ができるというのが伝わっているからだと思う。

 

 

伊澤:漁師以外にも街作りの活動もされていますよね?

菊地:震災後は、漁にも出られない時期があり、厳しい現実を目の当たりにしてきて。漁に出られないと次の世代に漁師の生活というのを伝えるのが途絶えてしまう。そうなるとこの浜も街も死んでしまう。そうはしたくなくて、自分たちで何がこの街に必要なのか、誰がどのようにここを管理していくのかを話し合って居住禁止区域に公園を作り運営したり、街を活性化させるための活動も併せて行っていますね。大きな津波を防ぐために巨大な防潮堤を作ったりした街もあったけど、あんなものは必要ないと。自然界と街を遮ってしまっただけで。あれは住民の意見よりも行政主導で行った結果。俺たちみたいなこれからここで子供たちを育てて行く世代は、自分たちが住みやすいように街をつくっていかないといけない。だからこの街は震災後から、若い人たちを集めて自分たちの住みやすい街はどうあるべきかを話し合ってきています。

 

 

伊澤:フィッシャーマンズリーグに参加したきっかけを教えてください。

菊地:震災後に操業もできず、瓦礫の撤去作業しかやれなくて散々だったときにフィッシャーマンズリーグを知って。元々はこの浜の魚は上場物のイメージがあったんだけど震災後にブランド力は地に落ちた。むしろマイナス。このまま魚が取れるようになっても将来食べていけるか不安になり、参加してみたのがきっかけで、そこに色々な人との繋がりもできて前向きに進むことができた。

 

 

伊澤:人間たちの活動の痕跡が地球の表面を覆い尽くした、*人新世(ひとしんせい)の年代に突入したと言われていて、これからどうやって自然と共存していくかと考え始めて、「人新世」をテーマにこのシューズを企画しました。このUMINOKUTSUは海洋プラゴミ問題をより多くの人へ知ってもらいたいという思いからつくりました。*人間活動による地表改変が地質的に影響を及ぼす地質年代。

菊地:ゴミを海に捨てることはもちろん悪いことで、昔は漁師も普通に捨てていて。一つの極端な話にはなるけれど必要になりうるゴミもあって例えば漁礁という魚の住処となる場所には、ゴミとしてあっても良い場合もあるということも、合わせて知っておいてもらいたいと。また例えば取れる魚が少なくなってくると禁漁という方針を打ち出したりするけど、取らなければ増えるわけではなく、その魚の天敵となる魚が食べるだけで、海の中の生態系のバランスの問題であって禁漁ではなくて、バランスを見て取っていくことが大切なんだよね。海の中は見えないし、データばかりで判断されてもね。現にここ相馬は、「営業自粛を1年3ヶ月やっていたからよく魚が取れるようになったでしょ」と言われることが多いのだけど、一概にそうでもない。むしろまったく取れなくなった魚もいる。それを漁師たちは肌で感じている。魚を取らないように、ではなく、海の中のバランスを取り戻すことの方が大事で、価値がないから取らない、という魚があれば生態系はどんどん崩れていくわけで、網に入った魚すべてに値がつけばバランスは崩れることはないんだよね。

 

 

伊澤:最後に、この靴を通じて伝いたいメッセージはありますか?

菊地:『自然』は人の手を加えないありのままの状態のことを指すけど、自分は人の暮らしの進化もまた自然の一部だと。大昔、地球は人間が生きていくには大変な環境だったと思うけど、知恵を持つ人間が必死に暮らしやすさを求め続けてきた末に行き着いたのが、今の生活と自然環境なんだと思っていて。その結果、人間が生きるために必要な食料の源となる山や海や大地など、暮らしの根本となる自然環境が崩れているならば、人はまた生きて行くために必死になって知恵を絞らなければならなくなるよね。その時期がすでに来ているのは漁師の肌感覚でも感じているし、海洋プラスチック問題が、この先も人間が生きていける環境をアップデートするためのきっかけになってくれることを望んでます。環境問題の議論をするときに人間自体が抜け落ちることがあって、かっこよく環境問題を唱えても一番重要なのは自分たちやその子供たち。小さな変革を地域で起こせば、いずれは大きく動かせるとこがあると信じているので、まずは身の回りの小さなことから意識をするだけで良いんじゃないかな。それが集まって初めて変われると思います。

伊澤:今回この街を訪れて、実際に見てそう感じる部分が多々ありますね。
菊地さん有り難うございました。