あなたのMY REBORN 伝説の40mフリーキックを生んだのは中学校の時に出会ったパトリックのスパイク
各界のプロフェッショナルに、MY REBORN(人生のターニングポイント)を伺うこの企画。前回に引き続き、岩本輝雄さんにお話を伺います。
元日本代表サッカー選手、岩本輝雄さん。2006年に引退してからも、サッカー教室や解説などでサッカーと一体となった生活を送っています。
今も現役時代同様のトレーニングを欠かさないという岩本さん、時には1試合を見るためだけにヨーロッパに飛ぶこともあるとか。選手以外の形でどのようにサッカーと関わっているのか、引退という転機を経て得たものとはなんなのでしょうか。
――インタビュー記事 前編はこちらから
あなたのMY REBORN 伝説の40mフリーキックを生んだのは中学校の時に出会ったパトリックのスパイク
――サッカー選手にとって引退というのは1つの転機だと思います。引退してからは三村さんや清水監督のような転機を連れてくる人との出会いはありましたか?
うーん、今のところないですね。自分で動いて、切り拓いていることのほうが多いかな。
事務所には入っていますが、やりたい仕事や会いたい人には自分からアプローチしています。サッカースクールのコーチも、自分でバンバン営業していますよ。
間に代理店なんかが入ると、スピードが落ちるじゃないですか。とにかくすぐ返事してすぐアクションする。これは現役時代にある人が教えてくれたことなんですが、引退してからその重要性を再認識しています。
――引退後もトレーニングを欠かさないと伺っています。
今日も午前中トレーニングしていました。夏には午前・午後両方トレーニングしています。夏は暑いけど、そこでしっかり体を作っておくと秋以降がとても楽で、体が動くんです。この夏、みっちりトレーニングできたので、9月以降は午前か午後だけトレーニングすればいいんです。
なぜトレーニングしているかと言うと、サッカースクールで子ども、大人にサッカー指導をするときに体が動かないとイヤだから。動けなかったら説得力ないじゃないですか。今は僕のこと知らない子どもたちもいますけど、ちゃんと動いて、そして一発、ガーンとキック見せれば「おおっ!」と目の色が変わる。一瞬で食いついてきます。
――今は解説者としても活躍されていますね。
そうですね。解説者って、時には選手個人のミスについても話さなければいけない。そうすると本人だけではなくて、その家族や親戚まで嫌な思いをするじゃないですか。だんだん、そういうことをするのがイヤだなあと思って。
いま興味があるのは分析者なんですよ。個人的に、いろんなチームの分析者に見方を教わったりしているのですが、とても興味深いです。
――――分析者って何をする人なのですか?
たとえば、1か月後にどこかのチームと対戦することが決まったら、そのチームの4試合分ぐらいのデータを見る。選手18人の特徴を余すところなく記録するんです。この選手はこういう場面ではこう出る、こういうパターンだと来る、別のパターンだと来ない……とか全部書き出すんです。
そしてデータを踏まえて、自軍の戦略を立てるんです。
「この選手ならマンツーマンで来るからここで止まっておこう」「下りてくると重くなるから、ここで待って誰を使おう」とか、戦術を細かく決めていく。
それは1人でできる作業じゃないんです。たとえばスペインのFCバルセロナだったら相手チームを分析して丸裸にしていくんです。
――そこまで徹底的に分析するんですね。
おもしろいでしょ? 昔、FCバルセロナの分析者に知り合いがいて、バイエルン・ミュンヘンとの試合を見に行ったとき、試合直前に「今日はどういう戦術で行くの?」って聞いたことがあります。そうしたら「今日は4・3・3のシステムでいきます。この試合に関しては、イニエスタとラキティッチを下げます。見ててください」と言うんです。その時のバイエルン・ミュンヘンの監督は、前にバルセロナの監督だったジョゼップ・グアルディオラだったんです。「グアルディオラはマンツーマンでつけてくるから、2人が下がることによって、相手もついていきます。そうするとネイマール、メッシ、スアレスで3になる。3・3の側面になるとイニエスタが有利になる」と分析者が言ったとおり、結局3・3の局面を作って前半で2点とって優勝でしたよ! それからほかにも……。
あ、サッカーの話になると止まらないです。ここは書かないでいいですよ、あくまでの例なので(笑)。まあそんな風に、優勝の影には分析がある。これはおもしろい。
――ではこれから分析者を目指す可能性も?
いやいやまだまだ。いろいろな試合を見て、戦術を勉強している感じです。
だからというわけでもないですが、「この試合が見たい」と思ったら、たとえ海外でも試合だけ見てとんぼ返りすることもしょっちゅうです。とにかく見たいと思ってしまう。
たとえば、バルセロナでやる試合のために、今日行って明日の夕方向こうに着いて、試合を見て、3時間後に帰ってくるなんてことも。
――いずれにしても、引退してもサッカーは岩本さんにとって切り離せないものですね。
サッカーは今でも生活のすべてって感じです。いや、すべてというか……生活の中に一体化して溶け込んでいるのかな。
だからか、サッカーに関することは「仕事」っていう意識がないんですよね。今でもいろんなチームの試合を見に行ったり、戦術分析する人に話を聞いたり、サッカーに関する知識を深堀りしていますが、周囲には「そんなにいろんな世界のサッカーを見て、勉強して、どこに活かすの?」ってよく聞かれます。
「うーん、どこに活かすんだろう?」って自分でも思います(笑)。即、なにか仕事に活かそうというつもりでもなく、とにかく好きなんです。サッカーは僕が生きているすべてとつながっている。この知識や今までの経験で、プロを目指す人の育成に貢献できればいいなと思います。
――サッカー指導では、カンボジアや東北にも足を運ばれているそうですね。
知り合いの会社の社長さんが、カンボジアのシェムリアップっていう町に「希望小学校」という子どもたちの教育と自立支援のための学校を作っているんですよ。その社長さんに「一緒に行く?」と言われたので「行きたい!」と言って同行しました。この2年ぐらい行けなかったのですが、7年間ぐらい毎年行っていました。
ゴールやボールを持っていって、子どもたちとプレーするんです。みんな、靴が買えないから裸足、もしくは右はサンダルで左はスニーカーだったりするんですが、すごく喜んでプレーしてくれる。
子どもはもちろん、お母さんたちやおばあさんたちと話したりすると、日本に比べたらとても大変なことが多いのに、みなさんすごく目がやさしいんですね。
病気になっている子どもも多い。今の貨幣価値だとまた違うかもしれませんが、8年ぐらい前は20円あれば子ども1人が救えるワクチンが買えるって聞きました。そうすると無駄遣いできないなと思います。それで、寄付したりしています。
東北は、仲の良かった友達も津波で亡くなったりして……。東日本大震災が発生して1週間後ぐらいに物資を持って仲間と山形経由、仙台から石巻へ入りました。少し落ち着いてから向こうの知り合いにサッカースクールをやりたいところがないかを聞いてもらって、返事が来たところにはすべて行っています。4〜5年で90か所ぐらいになるかな? 子どもたちもですが、大人にも入ってもらって練習試合をしています。
こういうこと、これまであまり言ってこなかったんです。「良いことをしています」とアピールするような気がして……。あえて言うことでもないと思っていたので。
――ところでパトリックのシューズはいかがですか。
僕、中学2年のときにパトリックのスパイク愛用していたんですよ!
テレビでイタリアのユベントスにいたミッシェル・プラティニのプレーを見たんです。ナポレオンと呼ばれていた名選手で、もうもうカッコよくて。その時プラティニが履いていたのがパトリックのスパイクだったんです。シンプルな白と黒のやつですね。中学生には高かったけど、姉に同じのを買ってもらって大事に履いていました。練習では使わない。試合の時だけ履く、大切なスパイクでした。
思い返せばあの時、プラティニがパトリックを履いていなかったら、僕もパトリックを履いていなかった。大事な試合の時はいつも一緒にピッチを走ったあのスパイク。中学時代のパトリックとの出会いが僕のフリーキックの原点で、転機の1つだったかもしれません。
writing by Mikiko Arikawa
プロフィール
岩本輝雄(いわもと・てるお)
1972年神奈川県生まれ。Jリーガーとして、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)、京都パープルサンガ(現京都サンガ)、川崎フロンターレ、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ベガルタ仙台、名古屋グランパスエイトでプレーする。2006年オークランド・シティFCでFIFAクラブ・ワールドカップに出場後引退。サッカー解説はじめ、TVバラエティなどでも活躍中。財団法人日本サッカー協会JFAアンバサダー、ベガルタ仙台アンバサダー。J1通算191試合出場32得点。