あなたのMY REBORN キャスターからジャーナリスト、次の挑戦は小説家。挑むテーマは「ドーピング」
各界のプロフェッショナルに、MY REBORN(人生のターニングポイント)を伺うこの企画。前回に引き続き、フローラン・ダバディさんにご登場いただきます。2002年日韓ワールドカップ終了後、ダバディさんの活躍の舞台はテレビに移ります。キャスターとして、ジャーナリストとしての活動で意識していたことなどについてお話を伺いました。
――インタビュー記事 前編はこちらから
あなたのMY REBORN 通訳からスポーツキャスターへ
――日韓ワールドカップのあと、2004年からテレビでのキャスターとして活躍されていましたね。
ワールドカップの後は、2004年からフジテレビの「すぽると!」というスポーツ番組で毎週金曜日、生放送コーナーを担当しました。同時期に、WOWOWのテニス番組からオファーがあり、中継番組のキャスターも担当することになりました。
私に期待されたのは、他では得られない海外の情報を伝えること。当時の1週間のサイクルは、水・木が番組作り、金曜日が「すぽると!」の本番、日・月・火は海外の新聞をいっぱい読んで、伝えるべき競技の勉強をしたり、記事を読んだりして情報収集です。サッカーだけではなくF1やアメリカンスポーツも担当していましたから、ゼロから勉強しなければならないことがいっぱいありました。
でも何よりも大変だったのは「生放送」であることです。
――生放送の担当時間はどのくらいだったのでしょう?
5分です。伝えたいことを4分59秒で収まるように話さないと、カットされてしまう。フランスのテレビはユルくて、5分コーナーが7分になってもOKですが、日本のテレビはそのあたりしっかりしていますから、途中で残り時間を紙で示してカウントダウンされる。慣れないうちはプレゼンテーションの途中でCMに行ってしまうこともあり、ショックを受けました。その後すごく怒られましたし……。毎回5分という時間が30秒ぐらいに感じられるほどあっという間でした。
アナウンサーとの相性もあるんです。僕のコーナーは女性アナウンサーとペアで話すんですが、中には僕が何を話すかしっかり把握してくれている人もいる。その人が今日のペアだと分かると「途中で違う方向に行ったらサポートしてくれる」と安心できました。
とくに、番組のメインを務めていた三宅正治アナにはすごく助けていただきました。ある時、番組の意向で僕自身はそう思っていなくても、ある監督について茶化すようなコメントをしなければならなかった。見た人が笑うようなコメントだけど、話している自分の目は笑っていなかったと思います。三宅さんはそれをすくい取って「フローランはそんなに彼が嫌いじゃないんだよね、分かるから大丈夫」という風にサポートするコメントをしてくれたんです。彼の立場では本当は言うべきではないのに、僕のためにリスクを取ってくれた。
あなたのMY REBORN 日本のテレビはもっとインターナショナルになったらいい
――自分の意に沿わないことを、言わなければならないのはつらいですよね。
そうですね。あれほど影響力がある番組だと、たくさんの人が関わっているし、自分の意志だけを通すのは難しいです。どうしても嫌ならやめるしかない。そこまではしたくなかったのです。なぜならあの時代、フジテレビは民放の中でもっとも勢いがあって、僕の他にも外国人キャスターを起用していました。「すぽると!」の前の番組は「ニュースJAPAN」で、滝川クリステルさんが出ていた。2人が続けて出ることはすごく意味があると思っていました。テレビの世界がもっと外国人のキャスターやスタッフを起用してインターナショナルな世界になったらいいと思っていたからです。
だから妥協せざるを得ない時もありました。もちろん、制作会議のときには「自分はこう思わない」と意見を出していましたが、多数のプロデューサーやディレクターが「この方向で」と決めたら、そうせざるを得ません。これは日本に限ったことではないと思いますが。
だから、いつか自分がすべてのコンテンツを決められる「編集長」のような立場になろうと思っていました。そして、この経験と決心が、WOWOWでの番組に活かされました。WOWOWでは、キャスターと言うよりジャーナリストとして仕事ができたと思います。
――WOWOWはテニス中継の番組ですね? 具体的にはどのように?
当時の民放テレビ制作の現場では、お金もパワーもバラエティが一番持っていたので、スポーツのコーナーでもフリップを多用したり、女子アナはボケ役でしかなかったり、バラエティっぽさを出す番組が多かったのです。ぼくがやりたいと思っていたのは、女性キャスターも補佐ではなく自分の意見を言い、競技のテクニックのことだけではなく文化や歴史をも伝えるものでした。
テニスなら4大大会はメルボルン、ニューヨーク、パリ、ロンドン、世界的に美しい都市が開催地です。その都市の文化や歴史を伝えたり、選手たちの国の文化やバックボーンまで伝えたい。WOWOWではそれができたんですね。
――スポーツと文化がどうも結びつかないのですが、どのようにして伝えたいと?
たとえばアフリカのサッカーチームだったら、彼らの国がどのような状況なのか、伝統的な色や風景はどんなものか、それを伝えるだけでも小さな旅ができるような気がしませんか? 僕自身、もともとスポーツを好きになったのは異文化や旅が好きだったからです。選手たちを通して、彼らが背負っている国の文化や政治、あるいは選手の生い立ちなどを伝えることができるわけです。
――なるほど、そう考えると選手たちは文化や国の背景を伝える強力なメッセンジャーになりうるわけですね。
プレーの美しさ1つとっても、その国のスタイルや文化的背景とつながっています。
今でも忘れられない取材があります。ロシアの有名なテニススクールのコーチを取材に行ったんです。一時期ロシアはシャラポワやクルニコワ、サフィナなど多数の強豪を輩出していました。私が取材したかったのはモスクワにある名門テニススクール「スパルタク・モスクワ・テニスクラブ」のカリスマ的存在の女性コーチ、ラリサ・プレオブラジェンスカヤ(Larisa Preobrazhenskaya)でした。取材に行ったときにはもう亡くなっていたので、アシスタントに話を聞いたのですが、彼女はクルニコワやサフィンを指導した偉大なコーチです。サフィンといえば圧倒的な強さと同時にバックハンドのブレなさ、美しさで有名ですが、それにはちゃんと理由があるんです。
彼女の指導法は、ざっと2年間はまったくテニスボールを打たせない、ただひたすら鏡の前でラケットを持ってスイングをさせる。なんのために? いわばバレエと同じで、体の軸を教えているんです。自分のイメージ通りのボールが打てるように、ラケットが体の一部になるまで繰り返し、繰り返しスイングさせるんです。これを知ってから改めてロシアの選手を見ると、選手のアイデンティティまでもが見えてきます。ロシアの選手がなぜ美しいフォームでプレーできるのか、背後にいるコーチの存在やその人のフィロソフィーまで知らないと、分からない。WOWOWではそうした番組作りができました。
あなたのMY REBORN ピッチの外でも、プラティニはヒーロー
――ミシェル・プラティニにも取材したことがあるとのことですが(前編参照)、プラティニからも深い話が聞けましたか?
プラティニにインタビューしたのは、おそらく2010年南アフリカワールドカップの直前か、直後だったと思います。当時はスペインが強くて、とくにFCバルセロナが群を抜いて強いので、世界的にも「真似しなければ」というムードでした。だからディレクターからは「なぜスペインが強いか聞いてほしい」と言われていました。
ぼくが質問している間、プラティニはすごく集中して聞いて一言も口を挟まなかった。そして質問が終わった後、ぼくをじっと見て「ダバディくん、君はそんなにスペインサッカーが好きなの?」と聞くんです。じつは僕は、左右にボールを回し続けるスペインのプレーがあまり好きではなかった。でも、局の意向もあるので「日本ではいまスペインのサッカーをモデルにして、技術で勝負しています。11人全員、ディフェンダーでもパスができて、足元の技術もうまいあのスタイルは現代サッカーのスタンダードではないでしょうか」と言ったら、「全然違う! サッカーはそんなものじゃない。11人全員が違う特徴を持ってそれがチームになったときに大きな力になるんだ。11人が同じ特徴で動くスペインのサッカーは、続くわけないよ!」とズバッと言い切りました。
さらに彼は「日本のサッカーの指導者たちに伝えてほしい、選手が等しく『こうでなければいけない』と均一化されるのはおかしい。ある子どもが左足の使い方が下手だったら、他のいい面を伸ばせばいい。一人ひとりが自分の得意分野を伸ばして個性を持って、最終的に監督が個性で選手を選んでチームを作れば良いのだから」と、おそらく日本のサッカー文化の発展のためというつもりで40分以上も熱弁をふるってくれました。インタビューの約束は30分だったのに。
彼は選手時代も、チームメイトの得意技や動きをよく分かっていて、その人が活躍できるようにパスする人でした。自分が前面にというより、みんなが活躍できるようにと考えていた。インタビューでも同じだったから、感激しましたね。
――プラティニはピッチを出てもヒーローですね!
さて、スポーツを伝えることで活躍を続けてきたダバディさんですが、これからは何か新しい目標や表現を考えていますか?
はい。3年ぐらい前から取り組んでいるプロジェクトがあります。それは小説です。
来年のローラン・ギャロス(全仏オープン)の後ぐらいに、フランスで発行される予定です。
内容は、この数年、僕がスポーツへの愛情をなくしかけている理由、ドーピングがテーマです。この暗黒面は本当に深刻です。
僕は日本のテニス選手なら伊達公子さんが素晴らしいと思っています。彼女のすごさは技術ではなくて、相手がどう動くかを読む能力。彼女のその能力は天才の域だと思っています。プラティニやマラドーナと同じような天才。でもそういう人たちが力を発揮できなくなってきている。それはミュータントやサイボーグみたいな、反射やフィジカル面のスピードがすぐれた選手が出てきて、人間がその限界まで能力を使って素晴らしい技を見せるような天才に勝ってしまうようになったから。
ドーピングをしているアスリートは全体の2割と言われています。思っているより少ない? しかし、その2割の選手は6割のタイトルをとっているんです。ドーピングせずに戦っている選手が、ドーピングした選手に負けたときの虚しさは、もう「そのタイトルを返して!」って思うほどです。
5〜6年前から、いろんな人たちからリサーチして、どうやって違法薬物がマーケットに入ってくるか、選手がどうやって薬を処方するドクターに出会うのか、どのように検査をすり抜けるのかなど、取材を続けてきました。
ジャーナリストでこの問題を追っている人はほとんどいません。証明できないからです。そして、訴えられてしまう。僕は医師でもアスリートでもないけれど、大好きなスポーツの世界が今、こんな悲惨な状況になっていることに何か一石投じることができればという思いで、小説を書こうと決心したのです。
――なるほど、主人公はドーピングする側ですか? ドーピングした相手に負ける方ですか?
設定は才能がある若い女性選手が、ケガや、スポーツを続けるためのお金に苦労したりとか苦悩に見舞われたとき、暗黒面に落ちるかどうかの誘惑が来る……というものです。そして魂を売ってしまって……というストーリー。フィクションにすることで、逆にリアルに描けると思っています。
――非常に楽しみです! ぜひ日本語でも出版を!
訴えられたとき、強い弁護士がいる出版社がいたらぜひお願いします(笑)。
――これからもスポーツを通して異文化と日本の架け橋となってくれるダバディさんの活躍に期待しています。「リボーンプロジェクト」のページでは、ダバディさんにフランスでのパトリックの軌跡を取材していただき、新連載として2020年からスタートする予定です。お楽しみに!
writing by Mikiko Arikawa
プロフィール
フローラン・ダバディ Florent Dabadie
1974年、パリ生まれ。フランス国立東洋言語文化学院日本語学科卒業後、渡日し映画雑誌「プレミア」編集部で働く中、日本代表監督トルシエ氏の通訳としても活躍。そのと、フジテレビ「すぽると!」キャスター、WOWOWのテニス番組ナビゲーターなどを務める。スポーツを通し各国の世相や歴史、文化をも伝えるスタイルで人気を博す。フランス語、日本語のほか7カ国語に精通。
http://dabadie.tv/
https://www.instagram.com/florent_dabadie/